【返品送料無料】 正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道-茶道具-Ⅱ-26B 和書

¥14,000

(税込) 送料込み

2832
2837
京都の公卿·大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙·旧所蔵
【金富士】貴重資料『宋瓷名品図録』南宋官窯 解説冊子付 大型本 学習研究社 箱入 検/学研中国古書陶磁古書和書
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。

『初学文章目録 上』寛永11年 西村又左衛門梓行 印記「相良蔵書」江戸時代和本 作文・綴文指南書
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
討ハ致さぬ金がかたき 世中貧福論 前後編各上中下巻 東都/十返舎一九著
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男·信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母·皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
(尾張藩)編年便覧 平岩蔵の書き入れ
 関白·近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女·常子内親王と結婚。二人の皇女·熙子(ひろこ)は、甲府藩主·徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍·徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫·千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代·後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家·自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷·幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
図形璽印彙 印譜 金石篆刻 朱印存 書道 封泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石
 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
1939年 世界画報 検索:支那軍 満洲 電影 女明星 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 生写真 革命党 総督府 張学良 古建築 風景 庭園
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん·天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室·方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。

井上士朗自画賛句幅 鴬の句 井上士朗
 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実·治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者·大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

仏説善悪因果経
 旧·所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏·自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室·方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆·「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
速水春暁斎著 森川保之画『大日本年中行事大全』(全6巻3冊揃)蓍屋宗八刊 江戸時代和本
 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
刑事政策汎論 / 正木亮 有斐閣 戦前本 希少本? レア本? レア物?
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜·下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉·女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。

脚本ハ仏国 世界ハ日本 当世二人女婿 上下二冊 シェイクスピア 依田百川訳
自筆下部の印は出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘·幾千姫(玉映)の落款(印譜)
@1900年 装束甲冑図解 検索: 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
古書 桜花百首 吉田ぼく堂尚真 水戸藩士 鈴木豊大 水戸 赤沼 獄舎 和装 自筆本 東湖流 天狗党 諸政党 藤田東湖 歴史資料 茨城
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
【推薦!貴重・稀少戦前和書【全頁流麗絵入+説明入】日本歴史畫集 合戦国武将軍武者絵浮世絵本天皇武田信玄上杉謙信徳川家康古書籍骨董仏教
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
江戸時代 古文書 時代物 和書 古書 武州 文政 美術品 3点
大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」近衛基熙·旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
完品 山宮允編 エドガー・アラン・ポー原著 日夏耿之介訳『大鴉』昭和11年 訪書書局刊

f# 明治期 窮理図解 初編 巻一~三 3冊 福沢諭吉・著 明治6年 改正再刻 和本 古書 絵入り 慶應義塾蔵版 /E01
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
京城勝覧  貝原篤信 天明再木 江戸 木版 和本 古地図 寶永3年序 貝原益軒の絵入り京都名所案内 1780年代 89画 内裏 清水寺
「若菜·下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。
『蓮如上人御物語』延宝5年 川勝又兵衛尉板行 江戸時代和本 浄土真宗 仏教書 仏書
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。「若菜·下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。》
北島志 巻一~五 全4冊 / 豊田彦次郎編 ★明治3
「額縁入自筆原本」
当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  犬追  古文書

☆E0170和本文久元年(1861)「宗門人別改帳ほか」4冊/甲斐国巨摩郡一町畑村(山梨県)/古書古文書/手書き
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
東西短慮之刃 尾崎紅葉
「自筆原本」
1914年 御即位式写真帖 検索:神職 礼正殿 支那 中華民国 大総統 袁世凱 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 天皇 満洲 総督府 張学良 古建築

无明一巻之書(馬見立書) 出羽国山上入道著
自筆下の二つの印は、出雲·松江藩主·松平治郷の正室·方子·と娘の幾千姫(玉映)の落款。
モロー・ド・ジョンネ著 箕作麟祥訳『統計学 上篇』(全5冊揃)明治7年文部省刊 明治時代和本
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。
番付 大相撲俳句競
反対側の印は仙台藩医·木村寿禎の落款
大正5年 「金生木宝鑑」 豊田宇左衞著  門尚徳会 修身斉家
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
田中緑紅『静岡小絵馬十二支』(上下輯揃/彩色木版画ぽち袋全12枚揃)戦前 木版ぽち袋 干支
自筆下部の印は出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘·幾千姫(玉映)の落款(印譜)
王義之 断碑 検索:玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 印譜 法書帖金石篆刻 王鐸 羅振玉 呉昌碩 原拓本 張瑞図 董其昌 黄庭堅 趙子昴 米元章
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
FK-505◆コレクター放出品 古銭 古書 金銀図録 全7冊揃い 近藤守重 20231129
(1)·自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。

古書@川谷尚亭碑@昭和42年青雲会@拓本
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
超レア★大作600ページ超★日露海戦記 全★明治40(1908)年発行★佐世保海軍勲功表彰會編纂★
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜·下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》
江戸 享保18年刷 欧陽詢 九成宮醴泉銘 1帖揃   検索 和本 唐本 拓本 書道 王羲之
《「ねひまさり給ひに》····けり」と、御覽すはかり、
5 古文書 模写 写し 写本 千葉県令 申上書 市町村 沿革 明治維新 肉筆 木更津 江澤潤一郎
用意くはへて、見えたてまつり給へと、事にふれて、教へきこえ給ふ。
書簡 朝比奈知泉 小林元茂宛 書生党 水戸藩
「けに、かゝる御後見なくては、まして、いはけなくおはします御有樣、
G-N/漢字の秘密 昭和29年 佐藤正一/著 教文館
かくれなからまし」と、人ゝも、見たてまつる。
清朝 光緒年 遼史 金史 唐本漢籍 原書 5冊 線装本 上海書局 検索⇒古籍善本 木刻本 木版 印本 武英殿本 聚珍版 宋版 彫版 支那 花箋 玉扣紙
正月廿日許になれは、空もをかしきほとに、風、ぬるく吹(き)て、お前の梅
大塚祐英『日本人民是非入用』明治18年 秩山堂刊 明治時代の書式見本集 書類文例集 公的書類テンプレート集
も、さかりになり行く。大方の花の木ともゝ、みな氣色はみ、霞みわたりにけり。
柳選会 染織 和服 振袖 染織 紋様 印染 着物 友禅 型絵染 江紋 板中形 版染 絞り染 紬織 錦織 紋織 羅 上布 縮緬 綴れ 通 組紐 刺繍 佐賀錦
「月たゝは、御いそき近く、物さ音も、志かく(試樂)めきて、人いひなさむを。
傷寒名数解
此(この)ころ(頃)、志(し)つかなるほと(程)に、
1943年 世界と我等 検索:支那 蒋介石 中華民国 汪精衛 関東軍閥 憲兵 国民党軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄 租借地 事変
こゝろ(心)み(見)給(たま)へ」
箱石東馬『実行清酒改良醸造法』(全3冊揃)明治22年 東海書館刊 明治時代和本 福島県会津若松の日本酒製造研究家による近代的酒造法案内
とて、志ん(寢)殿に·····《わたしたてまつり給(たま)ふ。》

清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本
(文責·出品者)
『教育一と口ばなし』明治26年井上市松刊 明治時代和本 俗謡 都々逸
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。

正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道-茶道具-Ⅱ-26B
(2)·自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。

◆和本◆美術宝庫◆画博堂◆明治◆彩色木版画
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
経典【仁王経開題 附仁王経陀羅尼】高野山根本大塔完成局 真言宗 経文 (管理74425016)
《六条院の華麗な女性たち(紫の上、明石の君、明石女御、女三の宮)》
中国古代官職 蒙求官職考 上中下2冊揃 江戸初期 明暦3年刷  検索 和本 唐本 古文書 法律
《朱雀院(前·朱雀天皇)の五十歳の御賀を兼ねて宮廷の豪華な祝宴の準備が進む》
送料込◆明治新刊 増評正文章軌範評林 6冊揃◆関徳評纂、明治17年/w471
《正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》
無双大雑書萬暦寶 安政6年   戦前明治大正古書和書古本  AA
《宮(女三の宮)は、二十一、二歳くらいにおなりであるけれど、相変らず
中村草田男色紙 雷鳴を… 中村草田男
成熟したところがなく幼げな感じで、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしい一方とおみえになる。
ジャングル大帝 創刊号 手塚治虫 昭和41年 Jungle Emperor Leo 検索⇒ アニメ 原画 原稿 原色 彩色版 肉筆 漫画 原作 手彩色 酒井七馬 製本
(源氏の君)「あなたは父君の院(前朱雀天皇)にお目にかかられぬまま
@1935年 譚祖安 墨跡 検索:中華民国 魏碑帖 法帖 書道 唐本 漢籍 古籍 原拓片 碑刻石 実拓本 法書 金石 篆刻 支那 玻璃版 印譜 玻璃版 善本
何年もたっているのですから、立派な大人に》·····なられた、とごらんいただけるよう、
今古實録第五號上下巻 佐倉義民傳
お心づかいしてお目通りなさいますよう」
★『妻鏡』 寛永十八年初版本 道鏡一円 無住一円 ★検)仏教 仏書 禅宗 和本 古文書 吾妻鏡 迷悟抄 沙石集 聖財集 雑談集 空海 親鸞 法然
と、殿(源氏の君)は、宮(女三の宮)に何かにつけてお教え申しあげなさる。
校訂槐安国語・5冊/明治19年/白隠禅師65歳の時にその弟子たちの懇請を受け大徳寺開山宗峰妙超の大灯国師語録に評唱と著語を付したもの
(女三の宮お付の女房)「なるほど、このような行き届いたお世話役がいなかったとしたら、
平田篤胤『古史伝』(全28冊揃)幕末~江戸初期頃刊 江戸時代和本 国学者の歴史書 古史傳
なおさらのこと、幼くていらっしゃるご様子が隠れようもなかろうに」
昭和7年 唐宋元明清書画家人名辞書  全7巻1帙  一名支那書画名家姓名字号捷覧  送料無料
と女房たちも拝している。
菅原為長編『管蠡抄 博覧古言』(全10巻5冊揃)天明5年 須原屋伊八刊 江戸時代和本 中国古典(唐本漢籍)から要語・名言を抄録 類書
《十六·正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》
☆E0184和本江戸寛政~慶応まで土佐藩の郷士大原家の記録「旧記覚」1冊/古書古文書/手書き/武士
 正月の二十日ぐらいになると、空も晴れやかに、風もなま暖かく吹いて、
追分絵・追和気/雪舟末孫等碩図/薩摩の人・父秋月等観(しゅうげつ-とうかん)のもとで,雪舟等楊(せっしゅう-とうよう)の画風をまなぶ/和装本
御前の梅も今を盛りと咲いている。
柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」(英訳文/中国語訳付) 茶道Ⅱ-104B
そのほかの花の木々も、みなほんのりと蕾(つぼみ)がふくらんで、
満州事変美談・独立守備隊の分/歩兵第二十九連隊の分・陣中漫談・野砲兵第二連隊の分・陣中漫談及逸話/2冊/関東軍参謀本部/昭和7年
あたり一面に霞(かすみ)が立ちこめているのだった。殿(源氏の君)は、
古方便覧
(源氏の君)「月が変れば、御賀の準備が近づいて、何かと落ち着かなくなるでしょうし、
鶴田吾郎・川端龍子 画文集2冊セット『大和めぐり』『きそ路』大正4-5年 スケッチ倶楽部刊 元版初版本 石版画譜 彩色木版画2枚入
そんなときに合奏なさるのではお琴の音も、御賀の試楽でもしているように世間から
さい(ウ冠に采)鑑集
取り沙汰されましょうから、このところの静かな折に弾いてみてくだされ」
1937年 支那 蒋介石 汪精衛 中華民国 国民党 支那空軍 中央軍 陸軍軍官学校 孫文 日中戦争 満州帝国事変 関東軍 総督府 古建築 生写真 図版
とおっしゃって、殿(源氏の君)は、対の上(紫の上)などを、宮(女三の宮)のおられる寝殿に····《お連れ申される。》
身延のみちの記
備考:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。
和本 暦日謬解1冊揃 木版画  検索 江戸 カレンダー 旧暦 風水 易学 唐本 古代天文学
現代語訳の出典·「源氏物語」小学館刊·阿部秋生·東大名誉教授(1999年没)
土佐湾台風10号のつめ跡★昭和45年★貴重な資料に★
備考·出品した自筆は、大炊御門宗氏·自筆で近衛基熙の旧·所蔵になるものです。
南蛮寺興廃記
禁裏(京都御所)で書かれたものです。

良政府談 (ユートピア) トーマス・モール著(トマス・モア) 井上勤訳
(2)·自筆の「英訳文」は次の通りです。

大正15年 小林一茶 一茶翁百年祭記念集 非売品
《New Herbs Part Two(若菜·下)》
原在泉『在泉習画帖』明治22年 田中治兵衛刊 木版画譜(絵手本)有職故実を能くした京都府画学校教授・日本画家 明治時代和本
"You must show him what a fine young lady you have become."
西国巡礼歌要觧
Her women silently thanked him.
@1841年 三体詩 検索: 支那 唐本 漢籍 漢文 漢詩 唐詩 宋朝 漢学 和本 和紙 木版刷 木板 写刻 木刻本 善本 水印 古籍 筒子頁 官本 線装本
That she had grown up at all was because of the trouble he had taken with her.
玉潤堂文庫主人 自筆稿本『歌川豊春浮絵目録』昭和3年 江戸時代絵画資料 浮世絵師
Late in the First Month the sky was clear and the breeze was warm,
複製 掛け軸 在銘 魯迅 印刷? 検索 中国美術 唐書 唐画 唐本 中国古書 和本 書道 古文書
and the plums near the veranda were in full bloom.
尋常小学書き方手本(第一学年用 甲種) 第二期国定教科書復刻版 昭和51年11月25日第九版発行
In delicate mists, the other flowering trees were coming into bud.
尾州様御家惣帳(尾藩分限帳)
"From the first of the month we will be caught up in our final rehearsals,"
農家益 天・地[人欠]大蔵永常著 享和2年
said Genji, inviting Murasaki to the Third Princess's rooms.
三字経絵抄
"The confusion will be enormous, and we would not want it to seem
[清] 沈徳潜選『重訂元詩別裁集』(2冊=巻1,2,5,6)石文堂蔵版 漢詩集 漢籍 唐本 和本 印記「対観楼蔵」
that you are getting ready to go with us on the royal visit.

送料込み、1790年,江戸時代の家庭の医学の和本「広恵済急方」全3巻、1巻少し糸ほつれ。多紀元簡。挿絵数十有。
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
五元集 巻一~巻三(巻四欠)
Edward George Seidensticker(エドワード·ジョージ·サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)

柳菴雑筆
(2)·自筆の「中国語訳」は次の通りです。

参考熱田大神縁起
《若菜·下》
尾張南画創始者 丹羽嘉言(号・章甫) 「南画水墨画譜 山水」 木版14図 天明元年
“!若非大人如此悉心管教,那孩子脾气就更加不能藏了。”
0030551 ふみのしをり 文栞 全3冊(7巻)揃 摂陽・河内屋新治郎 文政9年 山岡浚明 国学
正月二十日左右,天色晴朗,和日暖。庭前梅花盛,
改正反別地価取調帳(三重県四日市) 伊勢国朝明郡重坂村控
其他春花亦皆含苞,四周春云迷。源氏言道:“出了正月,便准祝寿,
佐野通正編纂『百花園 前輯』(全2冊揃)明治29年百花園編纂所(山梨県甲府市)明治時代和本 山梨県下の名士による詩歌・書画作品集
大家都要忙了。到那行琴筝合奏,外人将演,便多麻。
十代のエスキース 私家版 石原慎太郎
不如就在此悄悄地行。”便邀明石女御、紫夫人、明石夫人等都到

万年青図譜/篠常五郎/大槻博士閲/明治33年/鄙人ここに感あり乃ち多年培養の閲歴に因って彙して一小冊と為し名つけて万年青図譜とい云ふ
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
大間知黙然著『怪虹気焔録』大正4年 東海新報社刊(静岡県浜松市)大正時代初期の浜松の商業・商店広告多数入
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)

木版画葉書60枚『第三回 暑中絵葉書交換会』戦前期 大阪木版社/名古屋錦葉会刊 須知善一 小澤一蛙 桝岡良 長谷川儀一郎 田中耕花ら
「若菜·下の巻」原本の末尾(原本番号107-B)の印は、仙台藩第五代藩主·伊達吉村の正室·伊達貞子の押印
☆3081和本江戸文久元年(1861)政治外交論写本「毛利候之臣上書」1冊/長井雅楽/航海遠略策か?/長州藩士/古書古文書/手書き

希少【美品 未開封 限定100部 函付】『吉原遊女評判記 細見』昭和50年 宝暦期 さんちゃ大評判
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜·下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。
全唐文 全5巻セット 上海古籍出版 【d100-066】
左下の四角の大きな印は仙台·伊達家の家紋の印(竹に雀)
0016202 劉向新序纂註 全4冊(全10巻) 武井樗斎 文政4年 原題簽
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主·伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣·通誠の養女。
古版 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 一帖揃 木版画  検索 仏教 和本 唐本 明版 宋版 古文書
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。左端の写真は「若菜·上の巻」末尾の拡大写真。
十二カ月行事奇態刑罰図譜/伊藤晴雨/非売品/昭和28年/光琳派の絵師野沢堤雨に師事・生涯を通じ責め絵・縛り絵・幽霊画で知られた
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主·松平治郷(不昧公)の正室·方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘·幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医·木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館·刊行)
茶事集覧

@1933年 拗口語選録 初版 検索: 唐本 漢籍 支那 新文学 漢詩 漢学 唐詩 宋詞 元曲 善本 線装本 中華民国 古籍 木版刷 木刻本 竹紙 排印本
自筆の疎明資料等は、下記の通りです。
倉田萩三郎(倉田萩郎)編『俳諧霧の草鞋』大正14年刊(前橋市/非売品)正岡子規に師事した俳人 俳句 俳諧 俳書

大須賀観界他「繊鍼外科活物実験録/繊鍼外科真活物実験録」(3冊)明治時代和本 東洋医学書 医書 漢方医学 中国医学 鍼灸師 鍼治療

鳳】明治 古文書 一條氏糸譜 清和天皇 辻新次 家紋 武田菱 まくり 共箱 資料 家譜 族譜 検:中国美術 掛軸 硯 墨
(Ⅰ)·上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭·(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社·刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医·木村寿禎の落款(印譜)
諸礼教訓鏡

むかし渡更紗 山鹿清華 芸艸堂 大正6年 彩色木版刷 上中下 全3冊
「自筆の画像断層(MRI)写真」
●明治43年 1910年 宮武外骨 奇想天来 一冊 滑稽新聞 彩色 木版画 ポンチ絵 風刺画 髑髏 図案 戦前 デザイン レトロ アンティーク●

稀覯本 陀羅尼雑集  検索 和本 唐本 仏教 梵字 梵語 敦煌 写経 陀羅尼 中国古書
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜·下の巻)MRI 35―26B
越前金津香月院御講師之御法話  奧州盛岡佐井/三葉松庵義忠記
自筆下二つの印は、出雲·松江藩主·松平治郷の正室·方子(よりこ)と娘·幾千姫(玉映)の落款

【金富士】貴重資料『宋瓷名品図録』南宋官窯 解説冊子付 大型本 学習研究社 箱入 検/学研中国古書陶磁古書和書
「天皇の曽祖父·大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
『初学文章目録 上』寛永11年 西村又左衛門梓行 印記「相良蔵書」江戸時代和本 作文・綴文指南書
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
討ハ致さぬ金がかたき 世中貧福論 前後編各上中下巻 東都/十返舎一九著

(尾張藩)編年便覧 平岩蔵の書き入れ
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父·大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
図形璽印彙 印譜 金石篆刻 朱印存 書道 封泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫·所蔵)
1939年 世界画報 検索:支那軍 満洲 電影 女明星 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 生写真 革命党 総督府 張学良 古建築 風景 庭園
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫·近衛基熙の天皇家·近衛家略系図
井上士朗自画賛句幅 鴬の句 井上士朗
【天皇家·近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ·7)平成29年7月淡交社·刊行】
仏説善悪因果経
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫·宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
速水春暁斎著 森川保之画『大日本年中行事大全』(全6巻3冊揃)蓍屋宗八刊 江戸時代和本
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代·後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫·著)
刑事政策汎論 / 正木亮 有斐閣 戦前本 希少本? レア本? レア物?
「源氏物語」「若菜·下の巻」絵図、茶室関係資料
脚本ハ仏国 世界ハ日本 当世二人女婿 上下二冊 シェイクスピア 依田百川訳
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜·下)」(源氏物語絵巻)
@1900年 装束甲冑図解 検索: 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
古書 桜花百首 吉田ぼく堂尚真 水戸藩士 鈴木豊大 水戸 赤沼 獄舎 和装 自筆本 東湖流 天狗党 諸政党 藤田東湖 歴史資料 茨城
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。
【推薦!貴重・稀少戦前和書【全頁流麗絵入+説明入】日本歴史畫集 合戦国武将軍武者絵浮世絵本天皇武田信玄上杉謙信徳川家康古書籍骨董仏教
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
江戸時代 古文書 時代物 和書 古書 武州 文政 美術品 3点

完品 山宮允編 エドガー・アラン・ポー原著 日夏耿之介訳『大鴉』昭和11年 訪書書局刊
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版·№71 『源氏物語』特集)
f# 明治期 窮理図解 初編 巻一~三 3冊 福沢諭吉・著 明治6年 改正再刻 和本 古書 絵入り 慶應義塾蔵版 /E01
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例

京城勝覧  貝原篤信 天明再木 江戸 木版 和本 古地図 寶永3年序 貝原益軒の絵入り京都名所案内 1780年代 89画 内裏 清水寺


当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  犬追  古文書
大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」近衛基熙·旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫·近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主·松平治郷(不昧公)の正室·方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医·木村寿禎に伝来していたものである。
『蓮如上人御物語』延宝5年 川勝又兵衛尉板行 江戸時代和本 浄土真宗 仏教書 仏書
漢詩文原本自筆上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。「若菜·下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。紫式部は「若菜·下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室·仙台藩主第五代藩主·伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲·松江藩主·松平治郷の正室·方子(よりこ)と娘·幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。
北島志 巻一~五 全4冊 / 豊田彦次郎編 ★明治3
漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲·松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
☆E0170和本文久元年(1861)「宗門人別改帳ほか」4冊/甲斐国巨摩郡一町畑村(山梨県)/古書古文書/手書き
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。
東西短慮之刃 尾崎紅葉
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
1914年 御即位式写真帖 検索:神職 礼正殿 支那 中華民国 大総統 袁世凱 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 天皇 満洲 総督府 張学良 古建築
自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
无明一巻之書(馬見立書) 出羽国山上入道著
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
モロー・ド・ジョンネ著 箕作麟祥訳『統計学 上篇』(全5冊揃)明治7年文部省刊 明治時代和本
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「RemovablePaste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館
断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析·解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析·解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析·解析技術を見ることができます。
番付 大相撲俳句競
寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。
大正5年 「金生木宝鑑」 豊田宇左衞著  門尚徳会 修身斉家
「源氏物語」の自筆について1·筆跡の分析について
田中緑紅『静岡小絵馬十二支』(上下輯揃/彩色木版画ぽち袋全12枚揃)戦前 木版ぽち袋 干支
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
王義之 断碑 検索:玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 印譜 法書帖金石篆刻 王鐸 羅振玉 呉昌碩 原拓本 張瑞図 董其昌 黄庭堅 趙子昴 米元章
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
FK-505◆コレクター放出品 古銭 古書 金銀図録 全7冊揃い 近藤守重 20231129
2·大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
古書@川谷尚亭碑@昭和42年青雲会@拓本
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
超レア★大作600ページ超★日露海戦記 全★明治40(1908)年発行★佐世保海軍勲功表彰會編纂★
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位·内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
江戸 享保18年刷 欧陽詢 九成宮醴泉銘 1帖揃   検索 和本 唐本 拓本 書道 王羲之
3·自筆「源氏物語」の旧·所蔵者の特定の経緯について
5 古文書 模写 写し 写本 千葉県令 申上書 市町村 沿革 明治維新 肉筆 木更津 江澤潤一郎
近衛基熙の旧·所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
書簡 朝比奈知泉 小林元茂宛 書生党 水戸藩
4·近衛基熙(このえもとひろ)について
G-N/漢字の秘密 昭和29年 佐藤正一/著 教文館
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白·左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

清朝 光緒年 遼史 金史 唐本漢籍 原書 5冊 線装本 上海書局 検索⇒古籍善本 木刻本 木版 印本 武英殿本 聚珍版 宋版 彫版 支那 花箋 玉扣紙
HP近衛基熙·旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ をご覧ください。
大塚祐英『日本人民是非入用』明治18年 秩山堂刊 明治時代の書式見本集 書類文例集 公的書類テンプレート集
ツイッター も合わせてご覧ください。

柳選会 染織 和服 振袖 染織 紋様 印染 着物 友禅 型絵染 江紋 板中形 版染 絞り染 紬織 錦織 紋織 羅 上布 縮緬 綴れ 通 組紐 刺繍 佐賀錦
源氏物Yunsh wy典的Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定

傷寒名数解

1943年 世界と我等 検索:支那 蒋介石 中華民国 汪精衛 関東軍閥 憲兵 国民党軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄 租借地 事変

箱石東馬『実行清酒改良醸造法』(全3冊揃)明治22年 東海書館刊 明治時代和本 福島県会津若松の日本酒製造研究家による近代的酒造法案内

清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本

『教育一と口ばなし』明治26年井上市松刊 明治時代和本 俗謡 都々逸

正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道-茶道具-Ⅱ-26B

◆和本◆美術宝庫◆画博堂◆明治◆彩色木版画

経典【仁王経開題 附仁王経陀羅尼】高野山根本大塔完成局 真言宗 経文 (管理74425016)
京都の公卿·大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙·旧所蔵自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男·信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母·皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。 関白·近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女·常子内親王と結婚。二人の皇女·熙子(ひろこ)は、甲府藩主·徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍·徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫·千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代·後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家·自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷·幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示) 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん·天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室·方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実·治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者·大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。 旧·所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏·自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室·方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆·「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜·下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉·女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。
自筆下部の印は出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘·幾千姫(玉映)の落款(印譜)自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」近衛基熙·旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》「若菜·下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。「若菜·下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。》
「額縁入自筆原本」(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)「自筆原本」自筆下の二つの印は、出雲·松江藩主·松平治郷の正室·方子·と娘の幾千姫(玉映)の落款。自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。反対側の印は仙台藩医·木村寿禎の落款《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》自筆下部の印は出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘·幾千姫(玉映)の落款(印譜)自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載(1)·自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜·下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》《「ねひまさり給ひに》····けり」と、御覽すはかり、用意くはへて、見えたてまつり給へと、事にふれて、教へきこえ給ふ。「けに、かゝる御後見なくては、まして、いはけなくおはします御有樣、かくれなからまし」と、人ゝも、見たてまつる。正月廿日許になれは、空もをかしきほとに、風、ぬるく吹(き)て、お前の梅も、さかりになり行く。大方の花の木ともゝ、みな氣色はみ、霞みわたりにけり。「月たゝは、御いそき近く、物さ音も、志かく(試樂)めきて、人いひなさむを。此(この)ころ(頃)、志(し)つかなるほと(程)に、こゝろ(心)み(見)給(たま)へ」とて、志ん(寢)殿に·····《わたしたてまつり給(たま)ふ。》(文責·出品者)「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
(2)·自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》《六条院の華麗な女性たち(紫の上、明石の君、明石女御、女三の宮)》《朱雀院(前·朱雀天皇)の五十歳の御賀を兼ねて宮廷の豪華な祝宴の準備が進む》《正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》《宮(女三の宮)は、二十一、二歳くらいにおなりであるけれど、相変らず成熟したところがなく幼げな感じで、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしい一方とおみえになる。(源氏の君)「あなたは父君の院(前朱雀天皇)にお目にかかられぬまま何年もたっているのですから、立派な大人に》·····なられた、とごらんいただけるよう、お心づかいしてお目通りなさいますよう」と、殿(源氏の君)は、宮(女三の宮)に何かにつけてお教え申しあげなさる。(女三の宮お付の女房)「なるほど、このような行き届いたお世話役がいなかったとしたら、なおさらのこと、幼くていらっしゃるご様子が隠れようもなかろうに」と女房たちも拝している。《十六·正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》 正月の二十日ぐらいになると、空も晴れやかに、風もなま暖かく吹いて、御前の梅も今を盛りと咲いている。そのほかの花の木々も、みなほんのりと蕾(つぼみ)がふくらんで、あたり一面に霞(かすみ)が立ちこめているのだった。殿(源氏の君)は、(源氏の君)「月が変れば、御賀の準備が近づいて、何かと落ち着かなくなるでしょうし、そんなときに合奏なさるのではお琴の音も、御賀の試楽でもしているように世間から取り沙汰されましょうから、このところの静かな折に弾いてみてくだされ」とおっしゃって、殿(源氏の君)は、対の上(紫の上)などを、宮(女三の宮)のおられる寝殿に····《お連れ申される。》備考:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。現代語訳の出典·「源氏物語」小学館刊·阿部秋生·東大名誉教授(1999年没)備考·出品した自筆は、大炊御門宗氏·自筆で近衛基熙の旧·所蔵になるものです。禁裏(京都御所)で書かれたものです。
(2)·自筆の「英訳文」は次の通りです。
《New Herbs Part Two(若菜·下)》"You must show him what a fine young lady you have become." Her women silently thanked him. That she had grown up at all was because of the trouble he had taken with her. Late in the First Month the sky was clear and the breeze was warm, and the plums near the veranda were in full bloom. In delicate mists, the other flowering trees were coming into bud. "From the first of the month we will be caught up in our final rehearsals," said Genji, inviting Murasaki to the Third Princess's rooms. "The confusion will be enormous, and we would not want it to seem that you are getting ready to go with us on the royal visit. 英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』Edward George Seidensticker(エドワード·ジョージ·サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
(2)·自筆の「中国語訳」は次の通りです。
《若菜·下》“!若非大人如此悉心管教,那孩子脾气就更加不能藏了。” 正月二十日左右,天色晴朗,和日暖。庭前梅花盛,其他春花亦皆含苞,四周春云迷。源氏言道:“出了正月,便准祝寿,大家都要忙了。到那行琴筝合奏,外人将演,便多麻。不如就在此悄悄地行。”便邀明石女御、紫夫人、明石夫人等都到中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
「若菜·下の巻」原本の末尾(原本番号107-B)の印は、仙台藩第五代藩主·伊達吉村の正室·伊達貞子の押印中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜·下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。左下の四角の大きな印は仙台·伊達家の家紋の印(竹に雀)家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主·伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣·通誠の養女。冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。左端の写真は「若菜·上の巻」末尾の拡大写真。左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主·松平治郷(不昧公)の正室·方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘·幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医·木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館·刊行)
自筆の疎明資料等は、下記の通りです。
(Ⅰ)·上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭·(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社·刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲·松江藩主·松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医·木村寿禎の落款(印譜)
「自筆の画像断層(MRI)写真」(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜·下の巻)MRI 35―26B自筆下二つの印は、出雲·松江藩主·松平治郷の正室·方子(よりこ)と娘·幾千姫(玉映)の落款
「天皇の曽祖父·大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父·大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫·所蔵)3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫·近衛基熙の天皇家·近衛家略系図【天皇家·近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ·7)平成29年7月淡交社·刊行】4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫·宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代·後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫·著)「源氏物語」「若菜·下の巻」絵図、茶室関係資料下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜·下)」(源氏物語絵巻)朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版·№71 『源氏物語』特集)上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例

大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」近衛基熙·旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫·近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏·自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主·松平治郷(不昧公)の正室·方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医·木村寿禎に伝来していたものである。
漢詩文原本自筆上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。「若菜·下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。紫式部は「若菜·下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室·仙台藩主第五代藩主·伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲·松江藩主·松平治郷の正室·方子(よりこ)と娘·幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。
漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲·松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「RemovablePaste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析·解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析·解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析·解析技術を見ることができます。
寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。
「源氏物語」の自筆について1·筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。2·大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位·内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。3·自筆「源氏物語」の旧·所蔵者の特定の経緯について近衛基熙の旧·所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。4·近衛基熙(このえもとひろ)について近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白·左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
HP近衛基熙·旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ をご覧ください。ツイッター も合わせてご覧ください。
源氏物Yunsh wy典的Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定

【返品送料無料】 正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道-茶道具-Ⅱ-26B 和書

メルカリ安心への取り組み

お金は事務局に支払われ、評価後に振り込まれます

出品者

【返品送料無料】 正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道-茶道具-Ⅱ-26B 和書 【返品送料無料】 正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道-茶道具-Ⅱ-26B 和書

この商品を見ている人におすすめ

ホーム【返品送料無料】 正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道-茶道具-Ⅱ-26B 和書